首相秘書官がLGBTなど性的少数者や同性婚のあり方について「隣に住んでいたら嫌だ。見るのも嫌だ。」と発言した件が避難囂々だが、「嫌だ」とか「嫌いだ」とか自分の嗜好自体を発言することは、非難されるべきなのだろうか。僕は以前からこの点が引っかかってならない。

時代はLGBTQと言われるような性的少数者について差別することを禁じていこうという流れだ。たしかに、自分は異性だけを好きになるという「普通」ではないと感じる方が、心の中で悩み苦しみ侮蔑的な扱いを受けて辛い思いをしてきたことについて、それは差別だからやめていこう、同性愛であってもいいじゃないか性的マイノリティであってもいいじゃないか、堂々と告白できる世界にしていこうというこの流れには、自分もまったく異存はない。誰に対してでも他人の人格に侮蔑的であってはならないと思うからだ。

しかし今回の秘書官の発言はちょっとよく知らないのだが、いわゆる公的な場所で発言したものなのだろうか。もしたとえば友人間の会話などで「自分は同性愛は嫌だ」と発言したものであれば、それは個人の性的嗜好の問題だとは言えないのか?もう少し突っ込むなら、「同性愛は嫌」という個人の意見は許されないのか?

私は上記のように、性的マイノリティの人が卑屈になって自分の嗜好も言えない世の中は変えていかなければならないと思っている。しかし同時に「自分は嫌だ」という意見の人がいてもいいと思っているし、その人が自分の思いを隠さなければならないのもおかしいと思う。要はどんな人でも自分の意見を正直に堂々と言えることが大切なのではないのか。それは「差別」ではないでしょうということ。

こういう私も、ゲイの人にはちょっとウ~ンと思うことがある。それは差別と言われれば返す言葉もないのだが、なんというか知性では理解しようとしても男性と男性が交配するのを想像するのが「気持ち悪い」と本能的に避ける事柄なのだ。これを非難されても自分ではどうしようもないのでは?不思議なことに自分はレズビアンについては別にどうでもいい、別に気持ち悪くはないのだ。これはやっぱり自分が「男」だからだろうか。

こういう人は多いと思うのだが、要はこういう「嫌い」は差別なのだろうかということ。